羽化できなかったセミ

父は酒飲みで自制心がなく、どうしようもないところがあるが、 もともと心優しい人間だ。
特に虫や小動物に対して優しく、部屋に蛾や小さな虫が入ってくると虫とり網ですくって外に出してあげている。
私はそれを見て育ったので、 いきなり殺してしまう人を見るとぎょっとしてしまう。
夏になるとセミが道路にひっくり返って動けなくなっているので、 それを見て父は拾うし、私も木にとまらせるようにしている。

ある日父が散歩していると、セミが道路の真ん中にいた。
しかし良く見ると、それは殻から羽化する途中で死んでしまったセミだった。

セミが這い出てきたであろう土の近くには、木はなかったがコンクリの壁や、羽化の為に登れそうな場所があった。
しかし何を思ったのかセミはそれとは反対にある道路に向かって歩いてしまったのだ。
いつまで歩いても登れそうな木に突き当たるわけがなく、消耗し、もう仕方なく道の真ん中で羽化を始めるも力尽きて死んでしまったのだろう。

どうして道路に進んでしまったのか、誰か導いてくれるものは居なかったのか、天はむごいことをする、 と父は私に話していた。

俺は泣きながら散歩から帰ってきたんだと言っていて、流石にそれは冗談だろうけど、可哀想なセミに対してそのように思う父は優しいと思った。

また、私自身も羽化できないセミ、または夏にひっくり返って起きれなくなったセミのようだなと思った。
どうか私を見つけたら、捕まえて木まで運んで欲しい。

f:id:tsuikannashiko:20190110212703j:image