痛みは人を弱く、孤独にする

遊びたいけど痛い、痛いけど遊びたい。
痛くて引きこもっていると心が腐ってしまうし、人と遊びたい。
でも、痛みが強い時は逆に、遊んでいても痛くて辛いだけ。 楽しく感じる余裕なんてなくて、我慢するのが辛いだけ。
最近はそんな痛みとの駆け引きをしている。


3年前、友達と遊んでいたけれど本当は痛くて辛くて我慢して、 遊ぶ自信を無くしてしまった。
それからだいぶ調子悪く、人と約束もなかなか出来なかった。
ある治療者はそんな私やブログをみて、私が痛みに執着しすぎで、 心が弱くて、 友達と遊ばないのが痛みの原因だと言った。
何もわかっていなさに驚いた。
痛いから精神が辛くなるし、 痛いから友達と遊ぶのが難しくなるのに。
友達のサポートが大切とも言っていたけれど、まず、 若く健康的な友達はあまり私の疼痛を理解してくれなかった。 
だからこそブログにだけは自分の気持ちを正直に書き溜めているのに。
まわりの無理解は本当に人を孤独にする。
痛くなって何年か経って、未だに痛そうな私を見て、 最近はだいぶまわりの態度が優しくなってきたけれども。
あと、 治療者が自分が治せないのを患者のメンタルのせいにするなんて最低。
慢性疼痛は患者が痛みを意識し過ぎることが原因なんて言われることがあるが、そんな人もいるのだろうが私は違うと思う。
楽しい時だって痛みはやって来るから。


最近は3年前より良くなって、大丈夫そうな時は遊んだり、ちょっと無理したりしている。
でも、痛みとの駆け引きで、先日は無理してしまってそれからかなり痛かった。
自転車に乗って足を持ち上げると股関節も痛かった。


痛くてなかなか遊べない反動で、 あまり痛くない時はやりたいことが溜まりすぎていて焦ってたくさん予定を入れたくなる。
その一部だけを見ていた友達が、なんかいきなりアクティブになっててビックリした、と言っていた。
でも忘れていたけど、痛みがなかったら本来はこれくらい、 アクティブな自分なんだよな。